ゾルピデム

深夜。寝不足のあまり鈍痛を訴える頭で、指折り日付を数える。
久保ちゃんが家を出て、今日で3日。
前みたいに、訳も分からないまま消えるみたいに居なくなったんじゃなくて、
今度はちゃんとバイトだって分かってる。

分かってはいる、けど。

もしもまた、このままずっと連絡が取れなくなったら、とか。
考えただけでもぞっとする。こんな暗い部屋に一人きりなら、尚の事。

せめて眠ってしまえば、余計な事は考えずに済む。
休みたいと思えば思うほど目は冴えるばかりで、一向に眠れる気配は訪れなかった。

眠りたい、眠れない。

掴みたいのに、手を伸ばしているのに、指先が僅かにソレに届かない。
そんな焦れったさに、怒りと絶望とが混ざったようなよく分からない感情に、
泣き叫んで暴れたい衝動に駆られる。

知らなかった。寝られない事がこんなにも辛い事だったとか。
……自分がこんなにも弱かったなんて。

苛々とベッドの上で寝返りを打った瞬間、枕元に置いていたケータイが目に入った。

「……久保ちゃん」

限界だった。
堪え切れなくて、ケータイに手を伸ばした、その瞬間。

「久保ちゃんっ」

突然ケータイが震え、反射的に通話ボタンを押した。

『あ、時任?よかった。寝てたら悪いかなって、ちょっとだけ思った』

穏やかな久保田の声が流れるように耳に届く。そして全身に浸み渡るような感覚に、
知らず強張っていた身体の力が、深く熱い息を吐き出すと共に抜けていった。

『時任……何かあった?』
「いや、へーき……何も無い」
『そ?ならいいけど。明日、帰るからって言おうと思って。それだけ』
「久保ちゃん」
『うん?』

早く帰って来て。

「……何でもない。おやすみ」
『うん、おやすみ』

喉元まで出かけた言葉を押し殺して、電話を切る。
たった数分にも満たない、短い会話。
それだけで、あれほど荒れてざわついていた心が嘘のように落ち着きを取り戻していた。
今なら眠れる。
ゆっくりと引き込まれるような懐かしい感覚に誘われるまま、目を閉じた。


***


だから自分がそれを目にした時、夢を見ているのかと思った。

「久保ちゃん……?」
「あ、起こしちゃった?ごめんね」

そう言って宥めるように頭を撫でる手の感触が、夢にしてはリアル過ぎて。

「お前、帰ってくんの明日って、」
「うん、そうなんだけどね。なんかお前の声聞いてたらさ、早く帰りたくなっちゃった」

おかげでバイト代の半分がタクシー代に消えちゃったけどね、と苦笑しながらベッドに潜り込んだ
体温に

「……おかえり」
「ただいま」

今度こそ深い眠りを手に入れた。